|

ケアラケクア湾の歴史
キャプテンクック記念碑
ケアラケクア湾(『神々への道』)へようこそ。
写真に白く写っているのがキャプテンクック記念碑です。記念碑はキャプテンクック最期を遂げた場所の近くに建てられました。
キャプテンクックは2度目のハワイ上陸に際し、神聖な場所と時間を選びました。
彼が戻って来た時ハワイの人々は、マカヒキフェスティバルといって、ロノイカマカヒキの神に感謝の
意を表する年に一度のお祭りの最中でした。
ロノイカマカヒキの象徴の一つは横木に垂れる白いカパの旗で、それはキャプテンクックの船の帆と帆柱に
似ているものでした。キャプテンクックの航海士たちが眼にしたのは、神であるロノイカマカヒキ
(実はキャプテンクック)に会おうと待っていた一万人以上もの人々と2,500から3,500にのぼる
カヌーでした。
キャプテンクックは神のように扱われました。ハワイの人々は彼に
惜しみなく贈り物をし、敬意を表して華やかで神聖な儀式を行ったのでした。
そのお返しにキャプテンクックは船内を案内し、フルートとヴァイオリンを演奏しました。
花火を見たハワイの人々は、魅了されると同時に恐れを抱きました。
フェスティバルの2週間後、キャプテンクックはケアラケクア湾を発ち、
北西の航路を捜し求める途中で厳しい冬の嵐に巻き込まれました。
その後、船体を修理する為、キャプテンクックはケアラケクア湾に引き返しました。
マカヒキフェスティバルが終わった後の湾にはカプが張ってあり、ほとんど荒れ果てていました。
そこに残っていた原住民達は、なぜ偉大な神がそれほどの
被害を被ることがあり得るのか理解できませんでした。キャプテンクックに対する彼らの
尊敬の念は消え、今までこのイギリス人航海士達に与えてきたものの替わりとして、金属製品を
欲しがり、金属製品とディスカバリー号の小型帆船を奪いました。
キャプテンクックは9人の船員を従え、小型帆船が返されるまでカラニオプウ酋長を人質にするために
上陸しました。しかし、様々な理由でこの計画は失敗に終わり、キャプテンクックと4人の船員は
1779年2月14日、現在記念碑がある近くであった戦いで亡くなりました。キャプテンクックは50歳でした。
古代の埋葬穴
停泊する船の前に見える崖は、『アリイ』あるいは支配者達の埋葬地として
神聖な場所とされています。国王の力が骨に宿り、その力は埋葬地の神聖さを守る為なら何でも
すると信じられていました。つまり、彼らの力『マナ』を保存するということです。
|